えー、本題に入る前に、仏教の話をしたいのですが、知識が身についてないので、少しずつ…
「空海」とか「最澄」とか、日本史の教科書にあったのは記憶にあるけど、
誰が何をしたかは記憶にない…、そんな人が一般的ではないでしょうか?
ほんとは、空海の真言宗について、知ってることを書こうと思ったのですが、
調べてみると、へぇ~ と、思うことが多く、そちらのことから…
空海と最澄は西暦804年の5月12日に、一緒に、遣唐使して難波の港をでたそうです。
4船団からなる一行で、第一船に空海、第二船に最澄が乗ってたそうです。
第一船、第二船はそれぞれ別の場所に着き、第三・四船は行方不明…だそうです。
まあ、これについても、いろいろ思うことはあるのですが、
なるべく本題に戻しやすくするために、次回は、弘法大師・空海の真言宗について書く予定です。
しかし、先端の地で修行をする…、今も昔も変わらないのですねぇ…
遣唐使や遣隋使にえらばれるのは、今の宇宙飛行士に選ばれるくらいの感じですかね…、
海の藻屑に消えていった優秀な人たちも多かったのでしょうね…
2 件のコメント:
派遣するからには それなりの知識や能力があった方が選ばれたと 想像できますよね。
空海や最澄がその人物なんだと思います。
だから、別の船に乗っていた方も
遭難しなければ、いま知られていたはずじゃないのかな。
funさん、コメントありがとうございます。
ほんとに、無事に着く保証のない船旅で、それも言葉も違う異国の地へ。
そこで修行を積んでからの帰国。
生半可じゃできないですよね。
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